カルシは、

カルシは、

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カルシは、ウズベキスタン南部の都市です。カルシの名前は、モンゴル語でХарш-хот、ウズベク語でQarshi / Қарши、 ペルシア語で نخشب / Nakhshab‎。カシカダリア州の州都であり、人口は197,600人(1999年の人口調査)です。町は、タシケントの南西520キロメートル、アフガニスタン国境の北、約335キロメートルに位置しています。緯度38度51分48秒、経度65度47分52秒、標高374メートルです。

カルシは歴史上、当初はソグドの都市ナフシャブでした。そして、イスラム時代になって、ペルシアの都市ナサフになりました。ブハラ・ハン国では、カルシは2番目に重要な都市でした。カルシは肥沃なオアシスの中心にあり、そこでは小麦、綿花、絹が栽培されていました。バルフとブハラのあいだの、11日行程のキャラバン隊商路の宿駅でした。モンゴルのチャガタイ・ハン国のケベクとカザンは、チンギスハンの夏営地であったこの場所に宮殿を建設しました。1364年にはティムールもそこに、濠に囲まれた防御を持つ宮殿を建てました。そこには、今、町の南地区が位置しています。現代の都市名「カルシ」は、「宮殿」を意味しています。シャフリサーブスの衰退とともに、18世紀にはカルシが大きな意義を帯び、ブハラ・ハン国のハン位継承者の居住地となりました。この時代に、町には二重の城壁が建設され、10のキャラバンサライと4つのメドレセがありました。1868年までに帝政ロシアがザラフシャン渓谷を併合すると、1873年に、ブハラをロシアの保護国化する条約がカルシで結ばれました。丘に陣を敷き、蜂起しようとしていた、ハンの息子のアブドゥル・マリクは大いに失望しました。

1970年代初頭に大規模灌漑計画の第1段階が完了しました。その計画は、カルシ周辺の土地の灌漑のために、トルクメニスタンを流れるアムダリア川から東のウズベキスタンに、水を引くものでした。カルシ周辺の灌漑された土地のほぼすべてに、綿花が作付けされました。天然ガス採取にとっても、カルシの町は重要です。

カルシは、キリム(平織りの絨毯)の生産でも有名です。

主な史跡:

ホジャ・アブドゥル・アジズ・メドレセ―カルシ最大のメドレセ。現在は郷土博物館。

ラビヤ・メドレセ―19世紀末の女子メドレセ。

コク・グンバズ・モスク―コンプレクスの一部は、16世紀の建物です。