ヌクス

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ヌクス

ヌクスは、カラカルパクスタン共和国の首都です。町はアラル海のそばに位置し、カラクム砂漠、クズルクム砂漠、ウスチュルト台地のあいだにあります。人口は約26万人です。1932年に市制が施行され、ヌクス市となり、1939年にカラカルパクスタンの首都になりました。ヌクスには世界でも有数の博物館があります。世界的に有名なサヴィツキー名称博物館です。専門家や世界の報道機関の評価によれば、I.V.サヴィツキー名称カラカルパクスタン共和国国立美術館の所蔵品は、アジア地域のおけるすぐれた美術コレクションであり、ロシアアヴァンギャルド作品コレクションの意義と作品点数で、世界2位を占めています。

ヌクスの遺跡・史跡

今日のヌクスは、建都70年に過ぎませんが、中央アジアの他の町と同様、太古に遡る歴史を持っており、考古学的遺物の出土する古代の文化層の上に位置しています。ヌクスの史跡には、紀元前14世紀のものとされているものもあります。都城址シュルチャは、今は町の墓地に占められていますが、町の歴史について、さらに多くのことを物語るかもしれません。しかし、今のところ、ここでの発掘は禁止されています。しかし、すでに知られていることは、この都城址が、ホラズムの国境を管理する防御要塞のひとつとして存在していたことです。

「ヌクス」という都市名は、数字の9と関係があり、部族名の「ノキス」から出ていると考えられています。伝説はつぎのように伝えています。9人の女性が、ホラズム・シャーによって、この無人の土地に流刑となりました。彼女らは結婚することが禁じられていました。しかし、それにも関わらず、禁令は破られ、女性たちは、のちにこれらの場所に定住した部族の起源となりました。この国は、アラブの征服と、モンゴルのジュチ・ウルスへの従属を耐え抜きました。モンゴルやイスラムに対する反抗がおこなわれた際、戦争の負荷がすべて、まさにこの地域に、のしかかったのでした。

ミズダハン・コンプレクス内には、ヌクスのユニークな史跡が点在しています―マズルムハン・スルの地下式霊廟、9~11世紀のものとされるエレジェプ・ハリフの霊廟とメドレセ跡などです。

ウスチュルト台地で、学者たちはいくつも、キャラバンサライの遺構や井戸を見つけています。これらは、シルクロード上の中継点となっていました。

カラカルパクでは、太古から工芸が発展していました。パイルのある絨毯、刺繍、アップリケ―カラカルパクの模様は、ほかの模様とは混同しようのない、特徴あるものです。手で浮かし模様を入れた、明るく開放的で充実した色使いの布地、革刺繍、木製品への象嵌―これらすべてが、カラカルパクスタンの職人の手作業の繊細さと精巧さをはっきり示しています。

カラカルパクスタンはアル・ビールーニーやアル・フワーリズミー、アル・クブラといった傑出した学者の故郷です。19世紀―20世紀初頭には、傑出した詩人のアジニヤズとベルダフがここで暮らし、創作活動をしていました。